インターネットで変わる教育

id:chinjuhさまのご質問。question:1204769353

小学生に文章や写真を貸してと言われたらどうしますか?

一昔前なら、せいぜい地域の子どもたちが訪ねにくる程度。

インターネットの普及により、こういう問い合わせが全国から(いや、海外からも)可能になった。

ちょうど、総合的な学習の時間が設定され、環境や地域について調べたり、情報を検索したり、発表したりという教育活動も増えてきた。

こうした技術の進歩(テクノロジープッシュ)と、現場のニーズ(ディマンドプル)が合致すると、急速に活動が始まる。
ケータイはまさしく合致した例であろう。コミュニケーションしたい人間達と、それを可能にした技術。

しかし、学校には本当にそういうニーズが、いや、もっというならそのニーズを保証するだけの何かがあるのだろうか?

インターネットにより、子どもたちが社会に直接参加できるようになり*1、それはそれで意義あることだが、イジメとか出会い系のようなはっきりとした子どもの被害だけではなく、参加するために必要な何かをあらかじめ学んでおくべき、と思ってしまう。

車社会にいきなり三輪車を放り出してしまう感じを受ける。
確かに、車は避けるだろうが、それで交通事故が起きて、弱者優先とか言われてもなぁ…。

実際、社会人になるまでに、少なくとも義務教育として社会人になるための訓練をうけるわけで、インターネット社会にはそういう訓練はないのだろうか??
ま、そういう学校以外での訓練も込みで、我々もインターネット社会の一員であると考えるべきなのかな。

今回のケースは、学校から授業の一環として送信されたメールであれば、私なら、教員の一言を添えてほしかったと、強く思いました。

引用前に問い合わせをすることは必要だけど、他人に問い合わせをする前に、まずは先生に相談すべきだろうと思いますし。サイトの連絡先がいい人がどうかわからないのに、個人情報を先に提示するのは恐ろしい…という考えがなかったんでしょうかね〜。

…とはいえ、お疲れ様でした。

*1:この「はてな」にもずいぶん参加していることだろう