Web2.0は教育現場にすんなり導入されていいのか!?

開智学校@松本

せっかくなので、「ウェブ時代をゆく」欲しい!に乗っかってみたいと思います。長文なのでご覚悟を…。


今、教育現場にはさまざまなメディアがある。
古くは黒板、教科書など、そして視聴覚メディアとしての、テレビ、パソコンなどである。
しかし、視聴覚メディアの多くは、学校への導入に議論がまきおこり、試験的に実践が行われた。
今日は、その中でも特に、映画、テレビ、パソコンを取り上げ、導入時の歴史的背景を簡単に追うとともに、すんなり導入されているインターネット、Web2.0について考察したい。
なお、画像は、長野県松本市にある開智学校内の教育博物館の展示で、掛け図(教科書の代用品)である。

  • 人々がこぞって真似した映画

 大正初めに日本に入ってきた「映画」。
 「人が動く」「音が聞こえる」ことに驚愕し、人々は「映画」にはまった。今でも、893映画を見て出てくる人の歩き方は893みたいだ、と言われるが、その当時はそんなものじゃなかった…。
 「ルパン3世」と「ネズミ小僧」を足して2で割ったような「怪盗ジゴマ」*1は、人々のヒーローであり、その真似をする「ジゴマ騒動」まで起こった次第である。

 そんななか、婦女子に映画禁止令が出たり、「映画を見るのは不良」というレッテルが貼られたり、世間の逆風を受けながらも、映画はやはり魅力的であるということで、教育現場への導入が検討された。

 その結果、月に1回、体育館で集まって映画を楽しむ「映画の日」が設定され、今に至る。
 しかし、その後、映画は、日露戦争をはじめとする「戦争成果報告」となってしまい、洗脳メディアになってしまった経緯を持つが…。

  • 「一億総白*化」*2のテレビ

 戦前の日本も実験放送を行っていたが、やはり本格的に行われたのは第二次大戦後である。
 戦後の思想一新のなか、全国津々浦々同じ教育をという理念から生まれたNHKの学校放送番組にも後押しされ、テレビは学校に導入されることになる。
 教員不足の中、代用教員よりも「テレビ先生がよい」とされ、どのように教育とテレビを共存させていけばよいのか悩みの種となる。これは、今でも「放送教育」と「視聴覚教育」は別物だ、という教育理論に残っている。
 一方、大宅壮一によって「一億総白*化」と言われ、子どもに悪影響を与えるのでは…という危惧もあった。

 趣味が高じて、いや、将来を見越した熱心な一部の教員により、早くは昭和50年代より学校現場に入っているパソコン。
 全国的には、平成元年に告示された指導要領により、中学校の「技術・家庭科」の一領域として、「情報基礎」が選択として導入され、平成10年には必修となった。後に、高等学校でも平成16年より「情報科」が設置され、必履修となっている。
 このときも「文字が書けなくなる」「計算できなくなる」と非常に危惧される*3と同時に、パソコン教室などの環境整備、ハードウェア・ソフトウェアの準備と維持、教員の指導力不足などさまざまな問題が勃発し、こちらも学校現場の大きな悩みの種となり、今に至る。

  • ボランティアから始まったインターネットの始まり

 平成8年頃から、アメリカの影響を受けて「ネットディ」*4活動が始まった。これが、校内LANのはじまりである。
 保護者、ボランティアが中心となり、学校に手作りのLANが構築され、企業から寄付された中古パソコンなどが並べられた。
 「開かれた学校」「地域との協働」「企業の社会貢献」などの走りでもある。
 もちろん、インターネットの影の部分については危惧されたが、当時はそれほど悪意のあるユーザやサイトがなかったことから「情報倫理」「情報モラル」などの教育で対応することになる。

  • 教育観の変化とともにWeb2.0

 平成14年に始まった「総合的な学習の時間」においても、情報化への対応が重要視され、情報を収集したり、発信したりするのに、インターネットが用いられた。学校においてもサイトが設置され、授業内容や行事案内、児童・生徒の作品が公開されたのもこの時期からである。
 また、教育理論的にもちょうど転換期であった。
 今までの「知識伝達型の教授−学習論」から、「知識再構成型の学習者中心論」へと転換したのである。この辺の社会的構成主義については、また後日。
 そのため、教師だけから知識を得るのではなく、同じことを学んでいる他の学校の児童・生徒、地域の人、ボランティア、テレビ、新聞、インターネットなど様々なメディアから情報を得て、学習者は自分の中で整理し、問題解決を行い、それをまた他の人へ「情報」として伝えていくことになる。この教育活動に、Web2.0は最適であった。
 また、ブロードバンドによって学校同士を接続し、離れた学校同士が交流を図ることができるのもWeb2.0の恩恵といえよう。
 悪意のあるユーザやサイトが増えた今、「どのように対応するか」が検討されているが、学校にインターネットの導入そのものを反対する気配はない。フィルタリング機能をつけたり、個人情報の厳しい規制をかけたりしつつ、インターネットを使い、授業を行っている。
 さらに、授業内容そのものについても、インターネットで検索し、また、成果をインターネットで発信することにより誰かの授業ネタになっているのである。




 さて、ここまで読んで頂いた方は、テレビ、映画、パソコンが苦労して揉まれて、学校現場に導入されているのに比較し、インターネット(含むWeb2.0)はそれほど摩擦がないことに気づかれたであろうか。

 その背景として、
  1)インターネットというメディアが、登場から社会に認知=学校に設置されるスパンが短かったこと
  2)教育観の変化によるニーズがあったこと
 が大きく挙げられる。

 なお、同じような変遷をたどっているメディアとしてケータイが挙げられる。
 1)の条件は該当するが、2)の教育現場でのニーズは、普通に連絡用以外にはほとんどない。
 よって、まだ学校現場に、教育メディアとして登場していない、と言える。


 さて、話しを戻そう。
 Web2.0の恩恵として、知識はあちこちにころがっている。そして、それは現在の教育理念と合致している。
 検索すればかなりのことがでてくるし、それでわかった気になってしまう。
 そのなかでどのように教育しなければならないのか。
 いや、それより前に教育とは何なのか。

 梅田氏の前作「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)を読んでも解決されなかった。

 自問自答が繰り返される。

江戸から明治に匹敵する「時代の大きな変わり目」

 というのであれば、明治の教育の近代化まっただ中、「毛筆画教育」に力を入れた京都市の教育を思い出したい。
 彼らは、西洋文化偏重時代に、あえて「毛筆」に取り組み、円山応挙上村松園らを産み、後日母校への感謝として作品を寄贈している。
 詳しくは、10月31日のニッキをご覧頂きたい。


 というわけで、「いかに学ぶか」というキーワードを持つ今回の完結編。期待しています。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

*1:怪盗ジゴマについてはこちらを参照されたい

*2:一億総白*化についてはこちらを参照されたい

*3:この危惧はある意味あたっているが。当方もかなり漢字が書けなくなっている…

*4:ネットディについてはこちらを参照されたい