ようやく、お休みなさい。

そろそろだとは聞いていたが、ようやく連絡があった。

「おじいちゃん、今朝なくなった」

100歳を超え、安倍首相から*1の「100歳おめでとう」の賞状(?)を貰い、家で少々の畑をいじりながら、天寿を全うしようとしていた祖父。
100歳を超えても、いわゆるボケずに、私の仕事のことでよく話をしていた。

あの時代にしては珍しく大学の農学部で勉強し、そのために出兵せずに農業指導をした祖父。
戦後は種苗で有名なTや大阪府などで働き、退職後はずっと畑仕事をしていた祖父。

2年ほど前に、夜中、自力でトイレに行く途中で転び、背中を骨折。
そのときのお見舞いが、最後のコミュニケーションになった。

背中の骨折はなおったが、自宅でリハビリできず、病院附属のホームに入った。
そこにお任せしていたのに、最初の「危篤」連絡が入った。
食事中に食べ物をのどに詰まらせ、意識不明。脳死状態だと言う。

「危篤」が続き、「このままでは生き返りませんので、生命維持装置をはずしましょうか?」と言われつつ、3日、5日、1週間たち、医者も「復活しましたね〜」などと言っている。

目は開き、手足をちぢこまらせ、しきりにのどをヒューヒューならして、なにか訴えかけようとしているかに見える。目の前でモノを動かすと、目で追っている。
家族には、意識があるんじゃないかと思ってしまうが、医者によると意識はないらしい。

「でも、こないだ、もう復活しないって言ったのにここまで復活したやん!」

せめて、手足が自由になれば、のどのヒューヒューがなくなれば、と思いつつ…。

お見舞いに行くたびに、だんだんろうそくが短くなってきたのが見えてくる。
命が消えるというのはこういうことか。

「危篤」連絡が何ヶ月かおきにはいり、その度に喪服を持って飛んで帰った。
でも、いい意味で「オオカミ少年」のように、それは裏切られ、祖父の強靱な生命力に医者もびっくりした。

しかし、それは、家族の心の整理も、いろんな現実的なモノの整理もついた頃だった。

今頃、ようやく手足を伸ばして、寝ているに違いない。


なぜ、「違いない」かというと、今は東京出張中。
いろいろ手伝いなどもあるので、帰りたいのは山々だが…。
ようやく金曜日の午後に、早めに切り上げることは了承された。

そして…、

金曜日は友引だから、お葬式は土曜日になったよ、という連絡が入る。

おじいちゃん、もうちょっと待ってね。
旅立ちの前に挨拶できそうで、よかった。

*1:かなりのレアもの?